『神との対話』を読んで 第1章 その7 「私の責任」と言えた時

この本が問いかけること:変えられるのは、どこからか

うまくいかない時、私たちはつい、原因を外に探します。
あの人のせい、時代のせい、運が悪かったせい。

「『わたしの責任だ』と言ったときはじめて、それを変えられる。」

ニール・ドナルド・ウォルシュ著、吉田利子訳『神との対話』サンマーク出版、1997年(本の「」は『』にしています)

すぐ近くには、誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない、とあります。そして、自分がしていることを変える方が、人がしていることを変えるよりずっと易しい、と続きます。

ただ、その少し前では、身に起こる悪いことのすべてが、自分で選んだ結果だというわけではない、とも断っています。

読んで思ったこと

会社を辞めると伝えた後も、不安な毎日が続きました。
「この選択は、正しいのだろうか」。自問自答する日々でした。

やがて、他人は、自分が思うほど自分を見ていないと知りました。
自分の人生に責任を取れるのは、自分だけです。

たとえば、こんな時:電車が遅れた朝

電車が遅れて、大事な約束に遅刻した。
「電車のせいだ」と思ったことはありませんか。

それは、本当のことです。けれど、そう思っているだけでは、次も同じことが起こるかもしれません。

「次は、一本早い電車に乗ろう」。
自分にできることを考えた時、次の朝が変わりはじめます。

読む時に

ここで考えたいのは、毎日の小さなことです。つらい出来事を、自分のせいだと責めるための言葉として読む必要はありません。

ここでご紹介したのは、本の中のほんの一節です。
この先の対話は、ぜひ本を開いて味わってみてください。
※「」の中の言葉だけが本からの引用で、ほかは私たちの読み方です。

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