やさしく読む歎異抄 第六条 親鸞しんらんは弟子でし一人ももたずさふらう

「信じる心は、だれの持ち物でもない」

一言でいうと

私に、弟子は一人もいない。
信じる心は、だれかの持ち物ではないから。

こんな気持ち、ありませんか?

フォロワーの数で

「私のフォロワー」「自分のファン」と、人を自分のもののように数えていませんか。
親鸞しんらん聖人しょうにんは、念仏する人を「自分の弟子」と言うのは思い上がりだ、と言いました。

部活やサークル、職場で

「このグループを抜けるなんて」と、離れていく人を許せない時。
第六条は、一緒になる縁があれば一緒になり、離れる縁があれば離れる、と言います。

先生を変えたら、裏切り?

ピアノの先生を変えたら、「前の先生を裏切った」と言われた。
そんな話を聞いたことはありませんか。
親鸞しんらん聖人しょうにんのころも、念仏の先生を変えた人に「もう浄土には生まれられないぞ」と言う人がいました。
親鸞聖人は、それを「とんでもない」と言いました。
念仏の心は、先生がくれたものではなく、阿弥陀あみださまからいただいたもの。
だから、先生を変えても、なくなりはしないのです。

たとえるなら、朝日

友だちに「見て、朝日がきれいだよ」と教えてもらう。
朝日を見て、心があたたかくなる。
その気持ちは、教えてくれた友だちが作ったものではありません。
朝日が、あなたの心を動かしたのです。

第六条も、念仏しようという気持ちは、先生が作ったものではなく、阿弥陀あみださまのはたらきで起きたものだ、と言います。
先生は、朝日を教えてくれた友だちのような人です。

この四つのたとえは、分かりやすくするために作ったものです。お寺や学者の説明ではありません。

原文とやさしい訳

原文 1

専修念仏せんじゅねんぶつのともがらの、わが弟子でしひとの弟子でしといふ相論そうろんのさふらうらんこと、もてのほかの子細しさいなり。

やさしい訳: 念仏ひとすじの仲間のあいだで、「あの人は自分の弟子だ」「あれは人の弟子だ」と言い争っているようですが、とんでもないことです。

原文 2

親鸞しんらんは弟子でし一人ももたずさふらう。

やさしい訳: この親鸞しんらんは、弟子を一人も持っていません。

原文 3

そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏ねんぶつをまふさせさふらはゞこそ、弟子でしにてもさふらはめ、弥陀みだの御おんもよほしにあづかて念仏ねんぶつまふしさふらうひとを、わが弟子でしとまふすこと、きはめたる荒凉こうりょうのことなり。

やさしい訳: なぜなら、自分の力で人に念仏をさせたのなら、その人を弟子と呼んでもいいでしょう。けれど、阿弥陀あみださまのはたらきによって念仏している人を、「自分の弟子」と言うのは、とても思い上がったことです。

原文 4

つくべき縁えんあればともなひ、はなるべき縁えんあればはなるゝことのあるをも、師しをそむきてひとにつれて念仏ねんぶつすれば、往生おうじょうすべからざるものなりなんどいふこと、不可説ふかせつなり。

やさしい訳: 一緒になる縁があれば一緒になり、離れる縁があれば離れる。それなのに、「先生にそむいて、ほかの人について念仏したら、浄土に生まれられない」などと言うのは、とんでもないことです。

原文 5

如来にょらいよりたまはりたる信心しんじんを、わがものがほにとりかへさんとまふすにや。

やさしい訳: 阿弥陀あみださまからいただいた信心を、まるで自分の物のように、取り返そうと言うのでしょうか。

原文 6

かへすがえすも、あるべからざることなり。

やさしい訳: どう考えても、あってはならないことです。

原文 7

自然じねんのことはりにあひかなはゞ、仏恩ぶっとんをもしり、また師しの恩おんをもしるべきなりと云々うんぬん。

やさしい訳: 阿弥陀あみださまのはたらきに、そのまままかせていれば、自然と、仏さまの恩も、先生の恩も、分かるようになるのです。――と、(親鸞しんらん聖人しょうにんは)おっしゃいました。

⑦の最後の「と云々うんぬん」は、「と、おっしゃいました」という意味です。歎異抄たんにしょうは、弟子が聞いた親鸞しんらん聖人しょうにんの言葉を書き残したものです。

言葉の意味

専修念仏せんじゅねんぶつ
極楽に生まれるために、ひたすら念仏だけを唱えること。法然が始めた立場です。
ともがら
仲間。古い訳では「仲間」と言っています。
相論そうろん
言い争い。古い訳では「争ふ」と言っています。
荒凉こうりょう
えらそうで、遠慮がないこと。古い訳では「大変無遠慮なこと」と言っています。
如来にょらい
仏さまの呼び名。ここでは阿弥陀あみださまのこと。古い訳では「仏の方から与へ給うた信心」と言っています。
自然じねん
人がはからわなくても、ひとりでにそうなること。古い訳では「本願他力の思召にかなふやうになれば、おのづから」と言っています。
仏恩ぶっとん・師しの恩おん
仏さまの恩と、先生の恩。

出典

  1. 原文:蓮如(れんにょ)が書き写した本の第六条。親鸞仏教センター(真宗大谷派)講座資料「『歎異抄』思想の解明」(2025年11月18日)に載っている本文と照らし合わせました。「佛」「徃」は「仏」「往」に、くり返しの記号(ゝ)は字に直しました。 shinran-bc.higashihonganji.or.jp(PDF)
  2. 本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」序・六。 ウィキソース
  3. コトバンク「専修念仏」(山川 日本史小辞典)。 kotobank.jp
  4. コトバンク「自然」。 kotobank.jp

当コーナーでご紹介している「やさしい訳・たとえ・説明」は、出典をもとに GREEN EARTH HAYAMA が独自の理解に基づいてまとめたものです。宗派や寺院による公式な解釈ではなく、また読み方や解説は宗派・研究者によって異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

本コーナーで扱う原文は、約700年前に記された『歎異抄(たんにしょう)』の蓮如(れんにょ)書写本に基づいています。

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