やさしく読む歎異抄 第七条 念仏者は無碍の一道なり
「何ものにも、邪魔されない道」
一言でいうと
念仏の道は、何ものにも邪魔されない、ひとすじの道。
こんな気持ち、ありませんか?
占いや運勢が気になって
朝の占いで「今日は運が悪い」と言われると、一日中不安になる。
第七条は、信心をいただいた人には、天の神も地の神も敬ってひれふし、何ものも邪魔できない、と言います。
昔の失敗が追いかけてくる
ずっと前の失敗を、今も思い出して苦しくなる。
第七条は、罪や悪があっても、その報いにしばられることはない、と言います。
「よいこと」を集めても不安で
資格を取っても、人に親切にしても、まだ足りない気がする。
第七条は、どんなよい行いも、念仏にはおよばない、と言います。
たとえるなら、川
川の中に、大きな石があっても、
川は止まらずに、石のわきを流れて、海まで行きます。
念仏の道も、何かにぶつかっても止まらない道だ、と第七条は言います。
川が念仏の道、石が邪魔をするものにあたります。
この四つのたとえは、分かりやすくするために作ったものです。お寺や学者の説明ではありません。
気をつけたいこと:「罪や悪の報いにしばられない」は、「悪いことをしてもいい」という意味ではありません。歎異抄の第十三条にも、親鸞聖人の手紙の言葉として「薬があるからといって、毒をこのんではいけない」という意味の話が出てきます。
原文とやさしい訳
原文 1
念仏者は無碍の一道なり。
やさしい訳: 念仏する人は、何ものにもさまたげられない、ただひとすじの道を歩む人です。
原文 2
そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。
やさしい訳: なぜかというと、信心をいただいた人には、天の神も地の神も敬ってひれふし、悪魔も、仏教以外の教えの人たちも、邪魔をすることはできないからです。
原文 3
罪悪も業報を感ずることあたはず。
やさしい訳: 罪や悪があっても、その報いにしばられることはありません。
原文 4
諸善もおよぶことなきゆへなりと云々。
やさしい訳: どんなよい行いも、念仏にはおよばないからです。――と、(親鸞聖人は)おっしゃいました。
④の最後の「と云々」は、「と、おっしゃいました」という意味です。歎異抄は、弟子が聞いた親鸞聖人の言葉を書き残したものです。
言葉の意味
- 無碍の一道
- 何ものにもさまたげられない、ただ一つの道。古い訳では「何ものも碍とならぬ唯一つの道」と言っています。
- 天神地祇
- 天の神と、地の神。
- 敬伏
- 敬って、ひれふすこと。古い訳では「お敬ひなされ」と言っています。
- 魔界外道
- 悪魔と、仏教以外の教え(を信じる人)。古い訳では「悪魔や異端邪教」と言っています。
- 障碍
- 邪魔をすること。
- 業報
- 自分のしたことの報い。古い訳では「報ゐ」と言っています。
- 諸善
- いろいろな、よい行い。古い訳では「いかなる善」と言っています。
出典
- 原文:蓮如(れんにょ)が書き写した本の第七条。親鸞仏教センター(真宗大谷派)講座資料「『歎異抄』思想の解明」(2026年1月20日・2月17日)に載っている本文と照らし合わせました。「无碍」は「無碍」と書きました。 shinran-bc.higashihonganji.or.jp(PDF)
- 本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」序・七・十三。 ウィキソース
- コトバンク「天神」「地神」。 kotobank.jp(天神) kotobank.jp(地神)
- コトバンク「外道」。 kotobank.jp
- コトバンク「悪人正機」(改訂新版 世界大百科事典)。 kotobank.jp
当コーナーでご紹介している「やさしい訳・たとえ・説明」は、出典をもとに GREEN EARTH HAYAMA が独自の理解に基づいてまとめたものです。宗派や寺院による公式な解釈ではなく、また読み方や解説は宗派・研究者によって異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
本コーナーで扱う原文は、約700年前に記された『歎異抄(たんにしょう)』の蓮如(れんにょ)書写本に基づいています。