やさしく読む歎異抄 第十五条 煩悩具足の身をもてすでにさとりをひらく
原文とやさしい訳
第十五条は長いので、原文を12に分けました。⑨の『和讃』は、親鸞聖人が作った、教えをたたえる歌です。
原文 1
煩悩具足の身をもてすでにさとりをひらくといふこと。この条もてのほかのことにさふらう。
やさしい訳: 「煩悩をかかえたこの身のままで、もうさとりをひらいている」という考えがあります。これは、とんでもないまちがいです。
解釈(独自): この世で、さとった自分になろうと急がなくてよいのです。
原文 2
即身成仏は、真言秘教の本意、三密行業の証果なり。
やさしい訳: この身のままで仏になる(即身成仏)というのは、真言宗の教えの中心です。それは、体と口と心の三つの修行(三密)を成しとげて得られるさとりです。
原文 3
六根清浄は、また法華一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これみな難行上根のつとめ、観念成就のさとりなり。
やさしい訳: 目・耳・鼻・舌・体・心の六つが清らかになる(六根清浄)というのは、法華経の教えです。それは、四つの安らかな修行(四安楽の行)によって得られるものです。これらはみな、すぐれた力をもつ人にしかできない難しい修行で、心をこらして思いをめぐらすこと(観念)を成しとげて得るさとりです。
原文 4
来生の開覚は、他力浄土の宗旨、信心決定の道なるがゆへなり。これまた易行下根のつとめ、不簡善悪の法なり。
やさしい訳: これに対して、次の世でさとりをひらくというのは、他力の浄土の教えの中心です。信心が定まることによって進む道だからです。これは、力のない人でも行いやすい道で、善い人も悪い人も分けへだてしない教えです。
解釈(独自): 力のない人のためにこそ、開かれた道があります。
原文 5
おほよそ今生において、煩悩悪障を断ぜんこと、きはめてありがたきあひだ、真言法華を行ずる浄侶、なをもて順次生のさとりをいのる。
やさしい訳: そもそも、この世で煩悩や悪いさわりをなくすことは、とてもむずかしいことです。ですから、真言や法華経の修行をしているお坊さんでさえ、次の世でさとりをひらくことを願っています。
解釈(独自): この世でさとれないのは、あなたがだめだからではありません。
原文 6
いかにいはんや、戒行慧解、ともになしといへども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海をわたり、報土のきしにつきぬるものならば、煩悩の黒雲はやくはれ、法性の覚月すみやかにあらはれて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せんときにこそ、さとりにてはさふらへ。
やさしい訳: まして、戒律を守る力も知恵もない私たちは、なおさらです。けれども、阿弥陀さまの願いの船に乗って、迷いの苦しみの海をわたり、浄土の岸に着いたなら、煩悩の黒い雲はすぐに晴れ、さとりの月がすみやかにあらわれます。そして、すべての世界を照らす、さまたげのない光と一つになって、あらゆる人々を救うようになります。その時にこそ、さとりをひらいたと言えるのです。
解釈(独自): さとりは、自分の力でつかむものではなく、浄土でひらかれるものです。
原文 7
この身をもて、さとりをひらくとさふらうなるひとは、釈尊のごとく種々の応化の身をも現じ、三十二相、八十随形好をも具足して、説法利益さふらうにや。
やさしい訳: この身のままでさとりをひらくと言う人は、お釈迦さまのように、相手に合わせてさまざまな姿をあらわし、仏の体にそなわるすぐれた特徴(三十二相・八十随形好)をそなえて、教えを説き、人々を救うのでしょうか。
解釈(独自): さとりは、自分の心の中だけでなく、人を救うはたらきにあらわれます。
原文 8
これをこそ、今生にさとりをひらく本とはまふしさふらへ。
やさしい訳: そうであってこそ、この世でさとりをひらいた、と言えるのです。
原文 9
和讃にいはく、金剛堅固の信心の、さだまるときをまちえてぞ、弥陀の心光摂護して、ながく生死をへだてけるとさふらうは、信心のさだまるときに、ひとたび摂取してすてたまはざれば、六道に輪廻すべからず。
やさしい訳: 『和讃』には、「けっしてこわれない信心が定まる時をむかえて、阿弥陀さまの心の光が守ってくださり、長く迷いの世界からへだててくださる」とあります。これは、信心が定まった時に、阿弥陀さまが一度おさめ取ったら、もう捨てないので、迷いの世界(六道)を生まれかわり続けることはない、ということです。
解釈(独自): 信心が定まった時から、迷いの世界にもどらない道を歩いています。
原文 10
しかれば、ながく生死をばへだてさふらうぞかし。
やさしい訳: ですから、長く迷いの世界からへだてられるのです。
原文 11
かくのごとくしるを、さとるとはいひまぎらかすべきや。あはれにさふらうをや。
やさしい訳: このように知ることを、「さとる」と言いまぎらわしてよいのでしょうか。なんとも、なげかわしいことです。
解釈(独自): 救われる喜びを、「さとった」と言いかえなくてよいのです。
原文 12
浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にしてさとりをばひらくとならひさふらうぞとこそ、故聖人のおほせにはさふらひしか。
やさしい訳: 「浄土真宗では、この世で本願を信じて、浄土に生まれてからさとりをひらく、と教わっています」と、亡くなった親鸞聖人はおっしゃっていました。
言葉の意味
- 即身成仏
- 生きているこの体のままで、仏になること。真言宗の教えです。
- 三密
- 体・口・心の三つの修行(身密・口密・意密)。
- 六根清浄
- 目・耳・鼻・舌・体・心の六つ(六根)が、清らかになること。
- 四安楽の行
- 『法華経』に説かれる修行。古い訳では「身・口・意の修行と誓願」と注をつけています。
- 観念
- 仏や浄土に心を集めて、深く思いめぐらすこと。
- 順次生
- この世の次に生まれる世。
- 三十二相
- 仏だけがそなえている、三十二のすぐれた体の特徴。八十随形好は、さらにこまかい八十の特徴です。
- 和讃
- 仏の教えや、仏・高僧の徳を、日本の言葉でたたえる歌。
- 六道
- 迷いの六つの世界。古い訳では「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」と注をつけています。
一言でいうと
この身のままで「さとった」と思わなくていい。この世では本願を信じ、さとりは浄土でひらく。
第十一条から第十八条までは、歎異抄を書いた人が、親鸞聖人の教えと違う考えを一つずつ取り上げる部分です。第十五条は、その五つめです。
たとえ
「もう悩まない自分」になったはずが
本を一冊読んだり、話を聞いたりして、「もう悩まない自分になった」と思ったのに、次の日には、またいらいらしてしまう。そんなことはありませんか。
第十五条は、煩悩をかかえたこの身のままで、もうさとりをひらいた、という考えを、とんでもないまちがいだ、と言います。
一流の人ほど「まだまだ」と言う
一流のスポーツ選手ほど、「自分はまだまだです」と言います。それを聞いて、はっとしたことはありませんか。
第十五条は、真言や法華経のきびしい修行をするお坊さんでさえ、この世でさとりをひらくのはむずかしいので、次の世でさとりをひらくことを願っている、と言います。
動画を見て、作れる気になる
料理の動画を見ていると、もう自分でも作れる気がしてきます。けれど、台所に立つと、思うようにはいきません。分かった気になることと、できることは違う、と感じたことはありませんか。
第十五条は、この身でさとりをひらいたと言うなら、お釈迦さまのように、さまざまな姿をあらわし、教えを説いて人々を救えるのか、と問います。
たとえるなら、行き先の決まった飛行機
飛行機に乗ったら、行き先に着くことは、もう決まっています。けれど、乗ったとたんに「もう着いた」とは言いません。
第十五条も、信心が定まった時に、阿弥陀さまにおさめ取られて、もう捨てられることはない。けれども、さとりをひらくのは浄土に生まれてからだ、と言います。
それぞれ、次のものにあたります。
飛行機 → 阿弥陀さまの願いの船
飛行機に乗ること → 信心が定まること
行き先に着くこと → 浄土に生まれて、さとりをひらくこと
この四つのたとえは、分かりやすくするために作ったものです。お寺や学者の説明ではありません。
出典
- 原文:本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」十五の原文と、西村九郎右衛門 編『歎異鈔』(明治44年・1911年)を照らし合わせました。どちらも国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。第十条までと同じ書き方(「まふす」「ゆへ」など)です。旧字は今の字に直しました。二つの本で違う所は、もう一つの本文(東本願寺発行『真宗聖典』)と同じ方にしました。「ゆへ」「さふらう」は第十条までにそろえました。読点は、二つの本のどちらかにある所に打ちました。『真宗聖典』の本文は『親鸞仏教センター通信』第19号で見ました。 意訳聖典(国立国会図書館) 歎異鈔 1911年(国立国会図書館) 通信 第19号
- 本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」十五の意訳と、その中の言葉の注。 ウィキソース 国立国会図書館
- コトバンク「歎異抄」。 kotobank.jp
- コトバンク「即身成仏」。 kotobank.jp
- コトバンク「観念」「順次生」。 観念 順次生
- コトバンク「三十二相」「和讃」。 三十二相 和讃
「やさしい訳・解釈・たとえ」は、出典をもとに GREEN EARTH HAYAMA が独自の解釈でまとめたものです。宗派や寺院の公式な解釈ではありません。読み方は、宗派や研究者によって異なります。
本コーナーで扱う原文は、約700年前に記された『歎異抄(たんにしょう)』の蓮如(れんにょ)書写本に基づいています。