やさしく読む歎異抄 第十七条 辺地の往生をとぐるひと
原文とやさしい訳
第十七条は短い条です。原文を5に分けました。②の「学生」は「がくせい」ではなく「がくしょう」と読み、学問をするお坊さんのことです。⑤の「如来」は、古い訳では「釈迦如来」と言っていて、お釈迦さまのことです。
原文 1
辺地の往生をとぐるひと、つゐには地獄におつべしといふこと。
やさしい訳: 「浄土のはずれ(辺地)に往生した人は、結局は地獄に落ちる」という考えがあります。
解釈(独自): 人をおどかす話は、まず「どこに書いてあるか」を確かめてよいのです。
原文 2
この条なにの証文にみえさふらうぞや。学生だつるひとのなかに、いひいださるることにてさふらうなるこそ、あさましくさふらへ。
やさしい訳: これは、どのお経や書物に書いてあるのでしょうか。学者らしくふるまう人たちの中から、言い出されたことだそうです。なんとも、なげかわしいことです。
解釈(独自): 学んだ人の言葉でも、教えの文と照らし合わせてよいのです。
原文 3
経論聖教をば、いかやうにみなされてさふらうらん。
やさしい訳: その人たちは、お経や、その教えを説いた書物(経論聖教)を、どのように読んでいるのでしょうか。
原文 4
信心かけたる行者は、本願をうたがふによりて、辺地に生じて、うたがひのつみをつぐのひてのち、報土のさとりをひらくとこそうけたまはりさふらへ。
やさしい訳: 信心が欠けた念仏の人は、本願を疑ったために、浄土のはずれ(辺地)に生まれます。そこで疑いの罪をつぐなったあとで、本当の浄土(報土)のさとりをひらく、と聞いています。
解釈(独自): 疑いがあっても、救いの道は、途中で切れません。
原文 5
信心の行者すくなきゆへに、化土におほくすすめいれられさふらうを、つゐにむなしくなるべしとさふらうなるこそ、如来に虚妄をまふしつけまいらせられさふらうなれ。
やさしい訳: 本当の信心をもつ人は少ないので、仮の浄土(化土)にたくさんの人が招き入れられる、と説かれています。それを、結局は救われない(むなしくなる)、と言うのは、如来(お釈迦さま)に、うそをついたという罪を着せることになってしまいます。
解釈(独自): 仮の浄土は、行き止まりではなく、阿弥陀さまの慈悲のあらわれです。
言葉の意味
- 辺地
- 阿弥陀さまの本願を疑いながら往生を願った人が生まれる、浄土のはずれ。
- 学生
- お寺で、学問を専門にするお坊さん。今の「がくせい」とは違います。
- 経論聖教
- お経(経)と、その教えを説いた書物(論)、仏の教え(聖教)。
- 報土
- 仏が住む、本当の浄土。
- 化土
- 仮の浄土。古い訳では、信心の人が少ないので「化土に生れさせてまで、疑ひのはるゝやうにし給ふお慈悲」と言っています。
- 虚妄
- うそ、いつわり。
一言でいうと
疑いがある人も、見放されない。浄土のはずれは、地獄への入り口ではなく、本当の浄土への通り道。
第十一条から第十八条までは、歎異抄を書いた人が、親鸞聖人の教えと違う考えを一つずつ取り上げる部分です。第十七条は、その七つめです。
たとえ
「回さないと、不幸になる」
「この話を3人に回さないと、不幸になる」というメッセージが届いたことはありませんか。どこにも根拠がないのに、なんとなく不安になります。
第十七条は、「辺地に往生した人は地獄に落ちる」という話を、どのお経に書いてあるのか、と問います。
肩書きのある人の言い切り
SNSで、肩書きのある人が「正しいやり方は、これしかありません」と言い切っていると、つい信じてしまうことはありませんか。
第十七条は、「辺地に往生した人は地獄に落ちる」という話が、学者らしくふるまう人たちの中から言い出されたことを、なげかわしい、と言います。
「どうせ来ないよ」
彼氏が「必ず迎えに行くからね」と約束してくれたのに、まわりから「どうせ来ないよ」と言われて、悲しくなったことはありませんか。そう言うのは、約束してくれた彼氏を、うそつきにしてしまうことです。
第十七条は、仮の浄土に招き入れられた人が、結局はむなしくなると言うのは、如来(お釈迦さま)に、うそをついたという罪を着せることになる、と言います。
たとえるなら、手術のあとの回復室
手術が終わると、すぐには病室にもどれず、しばらく回復室で休むことがあります。回復室は、治らない人が行く場所ではありません。体が落ち着いたら、ちゃんと病室にもどれます。それでも、まっすぐ病室にもどれた方が、本人も家族も安心です。
第十七条も、本願を疑った人は、浄土のはずれに生まれても、疑いの罪をつぐなったあとで、本当の浄土のさとりをひらく、と言います。
それぞれ、次のものにあたります。
回復室 → 浄土のはずれ(辺地)
回復室で休むこと → 疑いの罪をつぐなうこと
病室にもどること → 本当の浄土(報土)でさとりをひらくこと
この四つのたとえは、分かりやすくするために作ったものです。お寺や学者の説明ではありません。
出典
- 原文:本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」十七の原文と、西村九郎右衛門 編『歎異鈔』(明治44年・1911年)を照らし合わせました。どちらも国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。第十条までと同じ書き方(「まふす」「ゆへ」など)です。旧字は今の字に直しました。二つの本で違う所は、もう一つの本文(東本願寺発行『真宗聖典』)と同じ方にしました。読点は、二つの本のどちらかにある所に打ちました。『真宗聖典』の本文は『親鸞仏教センター通信』第21号で見ました。 意訳聖典(国立国会図書館) 歎異鈔 1911年(国立国会図書館) 通信 第21号
- 本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」十七の意訳。 ウィキソース 国立国会図書館
- コトバンク「歎異抄」。 kotobank.jp
- コトバンク「学生」「経論」「聖教」。 学生 経論 聖教
- コトバンク「辺地」「報土」「虚妄」。 辺地 報土 虚妄
「やさしい訳・解釈・たとえ」は、出典をもとに GREEN EARTH HAYAMA が独自の解釈でまとめたものです。宗派や寺院の公式な解釈ではありません。読み方は、宗派や研究者によって異なります。
本コーナーで扱う原文は、約700年前に記された『歎異抄(たんにしょう)』の蓮如(れんにょ)書写本に基づいています。