やさしく読む歎異抄 第二条 たゞ念仏ねんぶつして

「信じた人の言葉を、ただ信じる」

一言でいうと

特別な理由なんてない。
信じた人の言葉を、ただ信じているだけ。

こんな気持ち、ありませんか?

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口コミを読んで、比べて、また調べる。
「もっといい方法が、どこかにあるはず」と思っていませんか。
第二条では、遠くから訪ねてきた人たちが、親鸞しんらん聖人に「ほかの道」を聞こうとします。
親鸞聖人は、「念仏のほかに、隠した道はない」と答えました。

信じた人を、信じきる

「この人の言うことなら」と思える人は、いますか。
親鸞聖人は、先生の法然聖人にだまされて地獄に落ちたとしても、後悔しないと言いました。

最後は、自分で決めていい

親や先生、SNSの「正解」に、流されてしまうことはありませんか。
第二条の最後で、親鸞聖人は「念仏を信じるのも、捨てるのも、みなさんしだい」と言いました。

たとえるなら、手わたされたバトン

お釈迦しゃかさま → 善導 → 法然聖人 → 親鸞聖人。
本当の言葉が、バトンのように手わたされてきた、と第二条は言います(原文⑧〜⑪)。
親鸞聖人は、そのバトンを受けとって走っている一人です。

この四つのたとえは、分かりやすくするために作ったものです。お寺や学者の説明ではありません。

原文とやさしい訳

原文 1

おのおのの十余じゅうよケ国こくのさかひをこえて、身命しんみょうをかへりみずしてたづねきたらしめたまふ御おんこゝろざし、ひとへに往生おうじょう極楽ごくらくのみちをとひきかんがためなり。

やさしい訳: みなさんは、十いくつもの国ざかいを越えて、命がけで、私を訪ねて来てくださいました。そのお気持ちは、ただひとつ、極楽に生まれる道を聞きたいからでしょう。

原文 2

しかるに、念仏ねんぶつよりほかに往生おうじょうのみちをも存知ぞんじし、また法文ほうもん等とうをもしりたるらんと、こゝろにくゝおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。

やさしい訳: けれども、私が念仏のほかに極楽に生まれる道を知っているのではないか、ありがたい教えの言葉を知っているのではないかと、気にしておいでなら、それは大きな間違いです。

原文 3

もししからば、南都なんと・北嶺ほくれいにもゆゝしき学生がくしょうたち、おほく座ざせられてさふらうなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生おうじょうの要ようよくよくきかるべきなり。

やさしい訳: もしそうなら、奈良や比叡山ひえいざんにも、立派な学者のお坊さんがたくさんいらっしゃるそうです。その人たちに会って、極楽に生まれるために大事なことを、よくよく聞いてください。

原文 4

親鸞しんらんにおきては、たゞ念仏ねんぶつして弥陀みだにたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて信しんずるほかに、別べつの子細しさいなきなり。

やさしい訳: この親鸞しんらんは、「ただ念仏して、阿弥陀あみださまに助けていただきなさい」という、よき人(法然聖人しょうにん)の言葉をいただいて、それを信じているだけです。ほかに、特別なわけはありません。

原文 5

念仏ねんぶつは、まことに浄土じょうどにむまるゝたねにてやはんべらん、また地獄じごくにおつべき業ごうにてやはんべるらん。総そうじてもて存知ぞんじせざるなり。

やさしい訳: 念仏が、本当に浄土に生まれる種なのか。それとも、地獄に落ちる行いなのか。私は、まったく知りません。

原文 6

たとひ法然ほうねん聖人しょうにんにすかされまひらせて、念仏ねんぶつして地獄じごくにおちたりとも、さらに後悔こうかいすべからずさふらう。

やさしい訳: たとえ法然聖人しょうにんにだまされて、念仏したせいで地獄に落ちたとしても、少しも後悔はしません。

原文 7

そのゆへは、自余じよの行ぎょうもはげみて仏ほとけになるべかりける身みが、念仏ねんぶつをまふして地獄じごくにもおちてさふらはゞこそ、すかされたてまつりてといふ後悔こうかいもさふらはめ、いづれの行ぎょうもおよびがたき身みなれば、とても地獄じごくは一定いちじょうすみかぞかし。

やさしい訳: なぜなら、ほかの修行に励んで仏になれたはずの人が、念仏したせいで地獄に落ちたのなら、「だまされた」と後悔もするでしょう。けれど、私は、どんな修行もやり遂げられない身です。だから、地獄は、どうせ私の住む場所に決まっているのです。

原文 8

弥陀みだの本願ほんがんまことにおはしまさば、釈尊しゃくそんの説教せっきょう虚言きょごんなるべからず。

やさしい訳: 阿弥陀あみださまの願いが本当なら、お釈迦しゃかさまの教えが、うそであるはずがありません。

原文 9

仏説ぶっせつまことにおはしまさば、善導ぜんどうの御釈おんしゃく虚言きょごんしたまふべからず。

やさしい訳: お釈迦しゃかさまの教えが本当なら、善導の説明が、うそであるはずがありません。

原文 10

善導ぜんどうの御釈おんしゃくまことならば、法然ほうねんのおほせそらごとならんや。

やさしい訳: 善導の説明が本当なら、法然聖人しょうにんの言葉が、どうしてうそでしょうか。

原文 11

法然ほうねんのおほせまことならば、親鸞しんらんがまふすむね、またもてむなしかるべからずさふらう歟か。

やさしい訳: 法然聖人しょうにんの言葉が本当なら、この親鸞しんらんが言うことも、からっぽのうそではないでしょう。

原文 12

詮せんずるところ、愚身ぐしんの信心しんじんにおきてはかくのごとし。

やさしい訳: つまり、おろかな私の信心は、こういうものです。

原文 13

このうへは、念仏ねんぶつをとりて信しんじたてまつらんとも、またすてんとも、面々めんめんの御おんはからひなりと云々うんぬん。

やさしい訳: このうえは、念仏を選んで信じるのも、捨てるのも、みなさん一人ひとりのお考えしだいです。――と、(親鸞しんらん聖人しょうにんは)おっしゃいました。

⑬の最後の「と云々うんぬん」は、「と、おっしゃいました」という意味です。歎異抄たんにしょうは、弟子が聞いた親鸞聖人の言葉を書き残したものです。

言葉の意味

極楽ごくらく
阿弥陀あみださまの国。浄土のこと。念仏によって極楽に生まれる、と教えます。
南都なんと・北嶺ほくれい
奈良と、比叡山ひえいざんのこと。どちらにも大きなお寺がありました。古い訳の注に「奈良」「叡山」とあります。
学生がくしょう
比叡山などの大きなお寺で、学問を専門にするお坊さん。今の「がくせい」とは別の言葉です。
よきひと
ここでは、法然聖人のこと。古い訳では「御師匠法然上人」と言っています。
法然ほうねん
浄土宗を開いたお坊さん(1133〜1212年)。親鸞聖人の先生です。
善導ぜんどう
中国・唐の時代のお坊さん。口に念仏を唱えることを中心にした人です。法然は善導の書いたものを読んで、念仏の人になりました。
釈尊しゃくそん
お釈迦しゃかさま。仏教を始めた人です。
一定いちじょう
決まっていること。古い訳では「きまりきつて」と言っています。
面々めんめん
一人ひとり。古い訳では「皆さまのお心任せ」と言っています。

出典

  1. 原文:蓮如(れんにょ)が書き写した本の第二条。親鸞仏教センター(真宗大谷派)講座資料「『歎異抄』思想の解明」(2024年4月16日)に載っている本文と照らし合わせました。「徃」「樂」は「往」「楽」に、くり返しの記号(ゝゝ)は字に直しました。 shinran-bc.higashihonganji.or.jp(PDF)
  2. 本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」序・二。 ウィキソース
  3. コトバンク「念仏」。 kotobank.jp
  4. コトバンク「阿弥陀仏」。 kotobank.jp
  5. コトバンク「学生(がくしょう)」。 kotobank.jp
  6. コトバンク「法然」。 kotobank.jp
  7. コトバンク「善導」。 kotobank.jp
  8. コトバンク「釈迦」。 kotobank.jp

当コーナーでご紹介している「やさしい訳・たとえ・説明」は、出典をもとに GREEN EARTH HAYAMA が独自の理解に基づいてまとめたものです。宗派や寺院による公式な解釈ではなく、また読み方や解説は宗派・研究者によって異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

本コーナーで扱う原文は、約700年前に記された『歎異抄(たんにしょう)』の蓮如(れんにょ)書写本に基づいています。

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