やさしく読む歎異抄 第三条 善人なおもて往生をとぐ
「よい人でさえ救われる。まして悪人は」
一言でいうと
「自分の力じゃ、もう無理」。
そう分かった人こそ、阿弥陀さまがいちばんに救おうとしている人です。
こんな気持ち、ありませんか?
仕事で
何でも一人で抱えこんで、「助けて」と言えない人がいます。
差し出された手があっても、気づきません。
「もう一人では無理です」と言えた人は、その手を取ることができます。
第三条は、自分の力ではどうにもならないと分かった人こそ、阿弥陀さまがいちばんに救おうとしている人だ、と言います。
SNSで
「いいね」が多いと安心して、少ないと落ちこむ。
そんなことはありませんか。
それは、自分の値打ちを、自分の頑張りで作ろうとしている状態です。
第三条は、自分の頑張りで救われようとする心を「自力」と呼んでいます。
でも、阿弥陀さまの願いは、頑張りの点数で人を分けません。
「自己責任」と言われて
「全部、自分の力で何とかしなきゃ」と思っていると、うまくいかない時に、自分を責め続けてしまいます。
第三条は、「自分の力だけでは抜け出せない」ことを、だめなこととしてではなく、救いの入り口として語っています。
たとえるなら、海で
浮き輪が、みんなに投げられたとします。
「自分は泳げる」と思っている人は、浮き輪をつかまずに、自分の力で岸まで行こうとします。
「自分ではもう無理だ」と分かっている人は、すぐに浮き輪につかまります。
浮き輪は、泳げる人にも、泳げない人にも投げられています。阿弥陀さまの願いも、もともと善い人・悪い人を分けません。
浮き輪が阿弥陀さまの願い、「自分は泳げる」と思う人が自分の力に頼る人、「もう無理だ」と分かっている人が第三条の「悪人」にあたります。
この四つのたとえは、分かりやすくするために作ったものです。お寺や学者の説明ではありません。
気をつけたいこと:この教えは「悪いことをしてもいい」という意味ではありません。歎異抄の第十三条にも、親鸞聖人の手紙の言葉として「薬があるからといって、毒をこのんではいけない」という意味の話が出てきます。
原文とやさしい訳
原文 1
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。
やさしい訳: よい行いができる人でさえ、浄土(阿弥陀さまの国)に生まれることができます。まして、悪人はなおさらです。
原文 2
しかるを、世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや。
やさしい訳: ところが世の中の人は、いつもこう言います。「悪人でさえ浄土に生まれる。まして善人はなおさらだ」。
原文 3
この条、一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。
やさしい訳: この考えは、ちょっと聞くと筋が通っているようです。けれども、阿弥陀さまの願いとその力(本願他力)の心には合いません。
原文 4
そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこゝろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。
やさしい訳: なぜかというと、自分の力でよい行いを積んで救われようとする人は、阿弥陀さまにすっかりまかせる心が欠けているからです。だから、阿弥陀さまの願いのねらいからは、はずれています。
原文 5
しかれども、自力のこゝろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。
やさしい訳: それでも、自分の力に頼る心を翻して、阿弥陀さまの力にまかせれば、まことの浄土に生まれることができます。
原文 6
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても、生死をはなるゝことあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人もとも往生の正因なり。
やさしい訳: 私たちは迷いの心(煩悩)でいっぱいです。どんな修行をしても、迷いの世界から抜け出すことはできません。阿弥陀さまはそれをかわいそうに思って、願いを立てられました。そのいちばんのねらいは、悪人が仏になることです。だから、阿弥陀さまの力にまかせる悪人こそが、浄土に生まれるいちばんの「もと」なのです。
原文 7
よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。
やさしい訳: それで「善人でさえ浄土に生まれる。まして悪人はなおさらだ」と、おっしゃいました。
⑦の「おっしゃった」人は、親鸞聖人です。歎異抄は、弟子が聞いた親鸞聖人の言葉を書き残したものです。
言葉の意味
- 往生
- 浄土(阿弥陀さまの国)に生まれること。
- 本願
- 仏さまが、人びとを救うために立てた誓い。阿弥陀さまは、すべての人を救おうと48の誓いを立てたとされます。
- 他力
- 阿弥陀さまの願いの力のこと。反対の言葉は「自力」です。今の「他人まかせ」という使い方は、あとから生まれた意味です。
- 自力作善
- 自分の力でよい行いを積んで、それで救われようとすること。
- 悪人
- ここでは、法律を破った人のことではありません。仏さまの前で自分を見つめて、自分の中の悪に気づく人のことです。原文の⑥では「煩悩具足のわれら」と言いかえています。
- 煩悩具足
- 迷いの心(煩悩)を、全部そなえていること。古い訳では「煩悩づくめ」と言っています。
- 正因
- 浄土に生まれる、本当のもと。古い訳では「往生の資格者」と言っています。
出典
- 原文:蓮如(れんにょ)が書き写した本の第三条。親鸞仏教センター(真宗大谷派)講座資料「『歎異抄』思想の解明」第19回(2024年10月15日)に載っている本文と照らし合わせました。『真宗聖典』(初版)627ページ。 shinran-bc.higashihonganji.or.jp(PDF)
- 本派本願寺 編『意訳聖典』(大正12年・1923年)の「歎異鈔」三・十三。 ウィキソース
- コトバンク「他力本願」。 kotobank.jp
- コトバンク「本願」。 kotobank.jp
- コトバンク「悪人正機」(改訂新版 世界大百科事典)。 kotobank.jp
当コーナーでご紹介している「やさしい訳・たとえ・説明」は、出典をもとに GREEN EARTH HAYAMA が独自の理解に基づいてまとめたものです。宗派や寺院による公式な解釈ではなく、また読み方や解説は宗派・研究者によって異なる場合があります。あらかじめご了承ください。
本コーナーで扱う原文は、約700年前に記された『歎異抄(たんにしょう)』の蓮如(れんにょ)書写本に基づいています。